日本平和 交流(例:東海道五十三次)

日本平和 交流(例:東海道五十三次)

おはようございます。『田舎暮らし・理想の町どっとこむ』のサイト運営管理責任者の味方良太郎です。

昨日は、世界平和をするには国際交流が欠かせない事を説明しました。日本が平和を目指すうえで、国際交流は欠かせません。また、世界平和を目指す前に、日本平和が必要なのです。そして、国際交流を活発化させるには、まずは日本人が日本国内での交流を活発化しなければならないとも言いました。どうすれば、日本国内での交流が活発になるのでしょうか?

今の日本で発展している都市の歴史を見ると、江戸時代の五街道の宿場町だったか、港町だった場合がほとんどです。なぜ、街道沿いの宿場町や港町が、その後も発展を続けるのでしょうか?詳しくは、私が書いた本『21世紀の思考法』に書いてあるのですが、答えは『交流』にあります。

交流とは人の行き来の交流。情報と情報の交流。物とお金、物と物の交流。外国文化と日本の文化の交流。偉い人と庶民との交流など、様々な交流があります。江戸時代の参勤交代によって、地方の大名が大勢の家来を連れて、江戸城に向かって通る道が整備されて五街道になりました。五街道の途中途中で休憩や休む場所として発展したのが、宿場町です。大名行列は自分が住む地方のお城と江戸城を行ったり来たりする必要がありました。今の流行りでいう『二地域居住』や『二拠点居住』のようですね。大名行列が行ったり来たりするのと同時に、宿場町には役人や商人や旅人や品物や情報が集まってくるようになりました。こうして、宿場町は交流の場として発展して行ったのです。

例えば、五街道で最も有名な東海道は、京都と江戸を結ぶ街道です。京都と江戸を結ぶので、京都の人・物・情報と江戸の人・物・情報が行き来するわけなのです。そうなると、その街道沿いでは京都の文化と江戸の文化が入り、交流して交ざり合うことになります。ですので、その中間には静岡県のように、京都と江戸の中間色の文化が生まれるのです。料理の味付けも静岡県が境になっていますね。

港町も街道と同じ性質を持っています。長崎や神戸や横浜など、大きな港町は今でも発展していますよね。理由は簡単で、外国からの文化や人や商品が入ってくるからなのです。貿易により、お金が儲かるから発展するのではありません。貿易により、人と情報と物やお金が行き来することで、交流が生まれ発展するのです。交流により、道や人の流れが出来るから発展するのです。また、街道沿いの宿場町よりも港町の方が大きく発展する場合が多いようですが、理由もちゃんとあります。街道沿いの宿場町での情報の交換のやりとりは、日本国内での情報のやりとりです。しかし、長崎や神戸や横浜のような大きな港町は、外国の文化や情報が入ってくるのです。つまり、日本と外国との交流なのです。国際交流ですね。異文化が入れば入るほど、大きく発展するのです。

このように、日本が発展していく上では、人・物・お金・情報の流れを作るために、交流が必要になってくるのです。

それでは、どのようにして、交流を活発化させればいいのでしょうか?昨日と同じような終わり方になってしまいましたが、続きはまた明日説明します。本日もどうもありがとうございました。